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東京地方裁判所 昭和21年(ワ)18号 判決

大阪市大正区大正通九丁目七十八番地

原告

北川産業海運株式会社

右代表者代表取締役

北川浅吉

西宮市若松町二十一番地

原告

北川浅吉

右兩名訴訟代理人辯護士

佐々木吉長

東京都中央区日本橋呉服橋三丁目七番地三

被告

旧東洋汽船株式会社

右代表者代表清算人

中野秀雄

右訴訟代理人辯護士

佐生英吉

右訴訟代理人辯護士

鎌田英次

右訴訟復代理人辯護士

横山勝彦

増田道義

右当事者間の昭和二十一年(ワ)第一八号損害賠償請求事件について当裁判所は、次の通り判決する。

主文

1原告等の請求をいずれも棄却する。

2訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、原告等の請求の趣旨

(一)被告は、原告北川産業海運株式会社に対し、二百十六万六千四百八十九円及びこれに対する昭和二十年十二月十三日以降支払済にいたるまで年六分の割合による金員を支払え。

(二)被告は、原告北川浅吉に対し、五十万円及びこれに対する昭和十九年十一月一日以降支払済にいたるまで年六分の割合による金員を支払え。

(三)訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並に仮執行の宣言を求める。

第二、請求の趣旨に対する被告の答弁。

主文第一、二項同旨の判決を求める。

第三、北喜丸外三隻関係。

一、原告北川産業海運株式会社(以下単に原告会社という。)の請求原因。

(一)原告会社は、昭和十八年三月十五日被告 (当時の商号東洋汽船株式会社)に対し、要旨次の通りの約定で汽船四隻を売り渡した。

(1)売買の目的物。北喜丸(八、四八〇重量屯)、北泰丸(八、六六一重量屯)、北興丸(七、四五七重量屯)、北寿丸(七、六〇〇重量屯)。

(2)代金は、八百万円とし、昭和十八年四月一日、東京において、右汽船四隻の所有権移転登記に必要な書類と引換に現金で支払うこと。

(3)目的物の引渡は、当該汽船の内地入港の都度当事者双方立会の上行うこと。

(4)目的物の所有権移転登記完了までに遭難その他喪失事故があつた場合には、次の割合による金額を代金から差し引くものとする。

(イ)北喜丸喪失の場合

百九十六万七千円

(ロ)北泰丸喪失の場合

百四十二万六千五百円

(ハ)北興丸喪失の場合

百四十四万三千円

(ニ)北寿丸喪失の場合

二百十六万三千五百円

(5)代金の支払その他につき必要な官庁に対する諸手続は、全部被告において担当処理し、原告会社は、契約履行に必要な限り被告の要求に応じ全面的に協力すること。

(二)しかるに、被告は、代金の支払に必要な官庁に対する諸手続をとることなく、支払期限を徒過し、遂に契約の履行を拒絶するにいたつたので、原告会社は右売買契約に基づき、昭和二十年十二月八日、被告に対し、同月十二日までに右代金を支払うべく、もし同日までにこれを支払わないときは、本件売買契約を解除する旨の支払の催告並びに停止条件附契約解除の意思表示をしたところ、被告は、同月十二日、右代金支払を拒絶したので、ここに本件売買契約は解除せられたのである。

(もつとも、これより先、売買の目的である汽船北興丸が昭和十九年三月二十日頃、北泰丸が同月三十一日頃、北喜丸が同年九月二十八日頃いずれも遭難沈没し原告会社はその保険金又は賠償金として北興丸につき百二十六万五千円、北泰丸につき九十四万六千十一円、北喜丸につき百七十二万五千円、合計三百九十三万六千十一円を受領したが、右は、本来被告の取得すべき金員であるから、前記代金支払の催告に際しては、約定代金八百万円からこれを控除した残額四百六万三千九百八十九円の支払を請求し、且つ、残存北寿丸については、何時にても自己の債務の履行をなす用意があることを通告してその引取を促したのである。)

(三)被告の右債務不履行による契約解除に因つて、原告会社は、

(1)沈没船三隻につき、代金全額、すなわち、北喜丸につき百九十六万七千円、北泰丸につき百四十二万六千五百円北興丸につき百四十四万三千円、合計五百八十三万六千五百円(前記(一)の(4)参照)相当の損害、及び

(2)現存北寿丸につき、代金二百十六万三千五百円(前記(一)の(4)参照)を契約解除当時の時価相当額(当時同船に附された保険金額)百八十九万七千五百円との差額二十六万六千円に相当する損害

以上(1)、(2)の合計六百十万二千五百円相当の損害を蒙つた。しかしながら、原告会社は、前述のように、本来被告が取得すべき保険金及び賠償金合計三百九十三万六千十一円を受領しているから、これを控除した残額二百十六万六千四百八十九円の賠償を被告に求める権利がある。

(四)よつて、原告会社は、被告に対し右二百十六万六千四百八十九円とこれに対し契約解除の日の翌日である昭和二十年十二月十三日から支払済にいたるまで商法所定の年六分の割合(原告会社及び被告は共に海運業を営む商人であるから本件売買は商行為であり、右損害賠償請求権は、商行為によつて生じたものである。)による遅延損害金の支払を求める。

二、請求の原因に対する被告の答弁及び主張。

(一)昭和十八年三月十五日、原告会社と被告との間において、原告会社主張のような汽船売買契約が締結されたこと、同二十年十二月八日、原告会社からその主張のような支払の催告並びに停止条件附契約解除の意思表示があり、被告がこれに対し履行拒絶の意思表示をしたこと原告会社と被告がともに海運業を営む商人であることは認めるが、北喜丸外二隻の沈没船について、原告会社主張のような賠償金及び保険金の支払があり原告会社がこれを受領したことは知らない。

原告会社主張の損害額は争う。

(二)本件売買契約は、合意解除により消滅したものである。すなわち、本件契約締結直後である昭和十八年三月二十日頃、原告会社社長北川浅吉は、石崎、馬場両取締役帯同被告会社を来訪し、被告会社専務取締役吉原政智及び業務部長中野秀雄と面談の席上で、本件汽船四隻の取引を現金で決済することに応じられない旨主張し、本件売買契約の破毀を申し入れたので、被告はこれを承諾し、これによつて本件契約は消滅に帰したから、被告の債務不履行による契約解除に因る損害賠償請求権が発生する余地なく、原告会社の本訴請求は理由がない。

(三)仮に然らずとするも、本件売買契約は停止条件附契約であるところ、その不成就により効力を発生しないで終つたものである。すなわち、本件契約には、原告会社主張の各条項の外「本件売買契約は、逓信省海務院の譲渡認可及び臨時資金調整法に基く主務官庁の認可を得ることにより効力を発生するものとする。」との特約が附されていたのである。当時船舶の譲渡は、海運統制令による海務院の譲渡認可及び臨時資金調整法による主務官庁の認可がなければ履行不可能であつたから、特に右各認可を受けることを本件売買契約の効力発生の条件としたものである。しかるところ、契約締結直後原告会社の主唱により、本件汽船四隻の取引を売買の方法を以てすることを取り止め、売買以外の方法を考究することとなり、原告会社と被告とを合併するための交渉が開始されるにいたつた。そのため、本件売買契約書は海務院に提出せられるにいたらず、延いて同院の認可も臨時資金調整法による認可もうけなかつたのであるから、本件売買契約が前記特約により、いまなお、その効力を発生していない。よつて、本件売買契約が、効力を発生したことを前提とする本訴請求は失当である。

(四)仮に、本件売買契約が、その効力を発生したとしても、原告会社が請求の原因(一)の(5)において主張する特約により既に沈没した北喜丸、北泰丸、北興丸の三隻については、それぞれ契約所定の金額を代金から差し引くこととなるべきである。従つて原告会社はその主張の契約解除をなすに当つては、北寿丸と引換に二六百十万三千五百円の支払を請求する権利を有していたに止まると解すべきところ、北寿丸の現在の価格は一億円以上と評価されるから、原告会社は、契約解除により寸毫の損害をも蒙つているとはいえない。本訴請求は理由がない。

三、被告の主張に対する原告の反駁。

(一)本件売買契約が合意解除されたとの被告の主張を否認する。本件契約締結直後、原告会社において、代金八百万円を代金そのものとして受領することを欲しない事情があつたので、当事者間において種々折衝の末、昭和十八年五月二十八日、被告が原告会社を吸収合併することを内容とする合併契約書が調印せられるにいたつたという事実は存するが、右は、本件売買契約に基づく代金債務の履行の方法として約定せられたものであつて、あくまで本件契約の存続を前提としこれを合意解除した趣旨ではない。

(二)本件売買契約は、締結と同時に効力を発生したもので、関係主務官庁の認可をもつて始めてその効力を発生する趣旨のものではない。契約当事者の意思もそうであつたのである。当事者間で作成した昭和十八年三月十五日附覚書(甲第一号証)中には、「主務官庁の認可をえた後効力を発生する」旨の規定があるがこれは単に官庁に対する考慮からなされた表現にすぎず、当事者間においては契約は即時効力を発生し、官庁の認可の得られない場合に後発的履行不能を生ずるに過ぎないと解されるから、被告の主張は理由がない。

(三)請求の原因(一)の(5)において述べた特約は、契約締結の時から代金支払期限である昭和十八年四月一日までの僅々約二週間の間を限り、右特約によることと定めたに過ぎないから、その後においては適用がなく、被告は船舶の喪失にかかわらず代金全額を支払う義務がある。

第四、錦隆丸関係

一、原告北川浅吉(以下単に原告北川という。)の請求の原因。

(一)原告北川は、昭和十八年五月二十八日、被告に対し、要旨次の通りの約定で錦隆汽船株式会社(以下錦隆社という。)の総株式二万四千株及び汽船錦隆丸汽缶用新製水管二千二百本を代金二百三十万円で売り渡す契約をした。

(1)売買の目的物及び代金。前記の通り。

(2)代金は、昭和十八年六月二十日頃迄に株式名義書換完了並に新製水管受領と引換に支払うこと。

(3)代金の支払その他につき必要な官庁に対する手続は全部被告が相当処理し原告は、契約履行に必要な限り被告の要求に応じ全面的に協力すること。

(二)被告は、右売買契約に基づき、同年六月頃、錦隆社株式取得につき政府の認可を得るため、予め逓信省海務院の内諾を得た上、売買契約書を添付し正式認可申請書を日本銀行に提出したが、間もなく、「現金を以てする総株式の取得は海務院において許可しない。同院は、錦隆丸の取得は合併又は現物出資によるべきものであるとの意見である。」と称し、勝手に日本銀行から前記認可申請を取下げその後錦隆社及び被告の合併又は錦隆丸そのものの売買の方法による右契約の履行を提唱してきたが、いずれも、商談成立にいたらず、荏苒時を過すうち、昭和十九年九月十六日頃、原告北川に対し、「本件売買契約は現状においては最早いかんともしがたい」旨通知し来つた外、その前後数回に亘り、口頭で、錦隆丸を他に売却するよう慫慂し、暗に本件売買契約上の代金債務の履行を拒絶するに至つたので、原告北川は、昭和十九年十月末、被告に対し本件売買契約を解除する旨の意思表示をなし、これによつて本件売買契約は解除せられた。

(三)原告は、同年十一月二十三日、本件錦隆社総株式を代金百八十万円をもつて訴外三井船舶株式会社に売り渡し、会社合併の方法により決済することとし、海務院の認可を得て直ちに履行を完了した。

されば原告北川は、被告の債務不履行による契約解除により、本件売買契約における代金額二百三十万円と右三井船舶に対する売渡代金額百八十万円との差額五十万円に相当する損害を蒙つたこととなる(但し、三井船舶との契約においては、錦隆丸汽缶用水管二千二百本を売り渡していないけれども、原告北川は昭和十八年六月本件売買契約の趣旨に従い右水管を新調の上同年九月これを用いて錦隆丸に取換工事を施したから、両売買契約における売買の目的物は実質上同一である。)。従つて、被告は右損害を賠償する義務がある。

(四)よつて、原告北川は、被告に対し、右五十万円とこれに対し契約解除の日の後である昭和十九年十一月一日以降支払済にいたるまで、商法所定年六分の割合(原告北川及び被告は、ともに海運業を営む商人であるから、本件売買は商行為であり、右損害賠償請求権は商行為によつて生じたものである。)による遅延損害金の支払を求める。

二、請求の原因に対する被告の答弁及び主張。

(一)昭和十八年五月二十八日、原告北川と被告会社との間に、原告北川主張のような要旨の錦隆社全株式並に水管の売買契約が成立したこと、同年九月十六日頃被告が錦隆丸を他に売却するよう慫慂したこと、同年十月末頃原告北川が被告に対し本件売買契約を解除する旨の意思表示をしたこと。並びに損害の額はいずれも否認する。原告北川が海運業を営む商人であることは知らない。

(二)原告北川は、本件売買契約の当事者ではない。すなわち、原告北川は、錦隆社の全株式を所有し同社の実権を掌握している旨自称していたので、被告は同人から右株式を買い取るべく折衝をなし来つたが、調査の結果、当時原告北川は未だ株式名義人ではないことが判明したので、被告は、錦隆社及び錦隆社株主の代理人たる岩田強と右のような契約を結んだのであつて、原告北川は契約の相手方ではない。従つて、原告北川が本件契約の当事者であることを前提とする本訴請求は失当である。

(三)仮に本件売買契約が原告北川と被告との間に成立したものとしても、本件売買契約には、原告北川主張の各条項のほか、「本契約は、海務院の認可及び臨時資金調整法による関係官庁の認可を得た後効力を発生するものとする。」との重要条項が包含せられていたものである。右認可申請をすることは被告の担当とする約であつたから、被告は本件売買契約書調印後、直ちに、同契約書の写を海務院総務部監督課長松井一郎の許に、又、臨時資金調整法による内認可申請書及び関係書類を日本銀行にそれぞれ提出した。数日後、被告会社常務取締役中馬進及び業務部長中野秀雄の両名が海務院に出頭したところ、松井監督課長から、「全株式売買は許可しない。現物出資による増資をなし、新株式を発行するか、合併でなければ駄目だ。日本銀行から申請書を取下げよ。」との命令を受けたので、原告北川にその旨伝えた。しかるに、原告北川から「今一度、許可せられるよう努力してみるから申請書を取下げることは待つてもらいたい。」との依頼があつたので被告はそのまま放置しておいてところ六月中旬頃、海務院監督課事務官中村常治から被告会社中野業務部長に対し再度の厳命があり被告はやむなく申請書類を日本銀行から取下げた。

以上の次第で、本件売買契約は海務院の許可するところとならなかつたのであるから、契約の前記条項により効力を発生しないことに確定したのである。従つて、本件契約が有効に効力を発生したことを前提とする本訴請求は理由がない。

第五、立証。

原告両名訴訟代理人は、甲第一号証の一、二、同第二号証の一ないし三、同第三ないし第十一号証、同第十二号証の一ないし三、同第十三、第十四号証、同第十五号証の一、二、(第十六ないし第十九号証は欠。)第二十号証の一、二、同第二十一ないし第二十四号証、同第二十五号証の一ないし十七、同第二十六ないし第三十号証を提出し、証人赤崎寅蔵、同岩田強、同大津源之助、同石崎彦五郎の各証言、原告会社代表者兼原告本人北川浅吉の供述(第一、二回)を援用し、「乙第一、第二号証の成立を否認する。同第三ないし第七号証の成立(但し乙第五号証については原本の存在と成立)は知らない。同第八ないし第十二号証の成立(但し乙第八号証は原本の存在及び成立)を認める。」と述べた。

被告訴訟代理人は、乙第一ないし第十二号証(但し乙第五号証は写、同第八号証は控)を提出し、証人吉原政智(第一、二回)、同中村常治、同松井一郎、同新谷寅三郎(第一、二回)同中馬進、同馬場次郎の各証言、被告会社代表者中野秀雄の供述(第一、二回)を援用し、「甲第一号証の一ないし第十五号証、同第二十号証の一ないし第二十三号証の成立を認める。同第二十四ないし第二十八号証の成立は知らない。同第二十九、第三十号証の成立は認める。」と述べた。

理由

第一、北喜丸外三隻関係。

一、原告会社と被告との間において昭和十八年三月十五日、原告主張通りの内容を以て汽船北喜丸外三隻の売買契約が成立したこと及び昭和二十年十二月八日原告会社が被告に対し原告主張の通りの契約上の債務の履行の催告及び条件附契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

原告会社の請求の要旨は、右の契約解除に因り原告会社が蒙つた損害の賠償を被告に対し求めるというのであり、これに対し、被告の抗弁の第一点は、本件売買契約は、その成立の直後、原告会社の破毀の申出を被告が承諾したことにより消滅したから、本件売買契約上の代金債務の不履行による契約解除を前提とする原告の請求は失当であるというにある。よつて、まず、この点について判断する。

成立に争ない甲第一、二号証の各一、二、同第三ないし第五号証、同第一五号証の一、二、被告代表者中野秀雄の供述(第一回)により成立を認める乙第一、二号証に証人赤崎寅蔵、同馬場次郎、同岩田強、同石崎彦五郎の各証言、原告代表者北川浅吉の供述(第一、二回)を綜合すれば、次の事実を認定することができ、この認定に反する証人吉原政智(第二回)、同中馬進の各証言及び被告代表者中野秀雄(第二回)の供述は、措信することができず、他にこれを左右するに足る証拠は存在しない。

「本件契約の成立した昭和十八年三月頃は、あたかも海運国家管理施行後約一年を経過し、この間の実績にかんがみ船舶運航体制を一層整備するため、海運業者を更に集約統合しようという気運が濃く動きつつあつた時であつて、かかる状勢を反映し、業界においては船舶の売買、海運業を営む会社の合併等の行われることしきりなるものがあつた。

この時に当り原告会社も亦、本件汽船北喜丸外三隻を他に譲渡しようと考え、訴外赤崎寅蔵の仲介により被告会社と商談を進めることとなつた。原告会社においては社長北川浅吉が台湾におもむき不在であつたため、取締役石崎彦五郎が北川から一切を委されて被告会社と折衝の任に当り、同月十五日に至つて本件契約を成立せしめ、同日東京の被告会社において、原告会社側は石崎取締役が北川社長を代理し、被告側は専務取締役吉原政智が社長高橋勇を代理し、仲介人赤崎寅蔵の立会のもとにさきに認定したとおり原告主張の内容で北喜丸以下四隻の売買契約が成立し、同時に、同日附覚書及び追加覚書と題する書面が作成されるにいたつた。

しかるに、原告会社社長北川浅吉が台湾から帰来するや、同月十八日頃上京して原告会社取締役馬場次郎とともに被告会社を訪ね、前記吉原専務及び業務部長中野秀雄と会見し、その席上において改めて本件契約につき同月十五日の契約の成立を確認するとともに双方社長名義を以てさきの書面と内容を同じうする同月十五日附覚書及び追加覚書と題する二通の契約書を作成したのであるが、その際原告社長北川浅吉が、「売買代金として八百万円の支払をうけるときは、大部分が税金として取られてしまつてつまらないから何とかならないか」との申出をした。これに対し、被告会社側吉原、中野等も右北川の申出を諒とし、原告会社に有利となるよう種々協議した結果、被告会社が原告会社を吸収合併し、右合併によつて原告会社株主に対し発行される被告会社株式を被告会社の主力銀行である安田銀行で総額八百万円で買い戻すことにすれば、窮極の経済的利益の帰属関係では売買契約を履行したと同一の効果が収められ、しかも右課税を免れることができるから、この方法によることにしようと双方の意見が一致したのであつた。しかしながら、その席上では、ただ、爾後吸収合併手続を開始する方針を決定しただけで、細目の合意にまではいたらなかつたから、原被告間の折衝はその後も継続され、結局、同年五月二十八日にいたつて原告主張のような合併契約書(事実第三の三の(一)参照)の成立をみることになつたものである。」

右に認定したところによつて、本件当事者間における交渉の経過を概観すれば原告会社が所有する北喜丸外三隻を対価八百万円で被告に譲渡するにつき、初、当事者間に原告の主張する昭和十八年三月十五日附売買契約が成立し、この金額等には双方とも少しも不服があつたわけではなかつたが、右に認定したような事由により、後これを改め、経済上の利益の帰属については全くふれることなく、唯法律上の形式のみ更めて当事者の合意する他の方法によることとし、その後の折衝を重ねたのである。この事実から推測すれば、如何なる法律上の名義を以てするにもせよ、当初定められた対価八百万円の線はこれを維持する趣旨であつたと認められるから、当事者は、互に折衝して売買名義以外でこの線に沿うて四隻の汽船の支配が被告に移るように法律上の名義の形成に協力すべき義務を負うたものというべきである。こうなつた以上は結局本件売買契約は、当事者間で合意の上解除されたものというべく、被告の契約破毀の主張は、正にこのことをさしているのであつて、理があることとなる。されば、その他の点について判断するまでもなく、原告会社の請求は理由がないこととなる。

第二、錦隆丸関係。

一、成立に争ない甲第二十号証の一、二、証人馬場次郎の証言によつて成立を認める甲第二十四号証、同証人の証言、被告代表者中野秀雄(第二回)、(前記措信しない部分を除く。)原告本人北川浅吉(第一、二回)の各供述を綜合すれば、昭和十八年五月二十八日、原被告間において、原告北川主張のような内容の錦隆汽船株式会社全株式及び汽船汽缶用水管の売買契約が成立したことを認めるに充分である。

被告は、本件契約における売主は訴外岩田強であつて、原告北川は売主でないのはもちろん、売主代理人でもなく、単に仲介人として被告会社との折衝に当つたに過ぎないと主張する。しかしながら右主張に副う証人吉原政智(第一回)の証言、及び被告代表者中野秀雄(第一回)の供述は前掲各証拠に対比して措信し難く、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第四、第五号証によれば、本件売買契約書には売主として岩田強の記名捺印のあることが認められるけれども、他方証人岩田強の証言によつて成立を認める甲第二十五号証の一ないし十七、右岩田証人、証人大津源之助、同馬場次郎の各証言、北川本人(第一、二回)の供述を綜合すれば、原告北川は、昭和十八年三月二十五日、訴外岩田強から錦隆社全株式二万四千株を代金は同月末日における同会社の純資産(但し、同社の主要資産である汽船錦隆丸を簿価にかかわらず二百十一万円と評価するものとする。)相当額、株券受渡期日は同年五月三十一日と定めて譲り受け、ついで本件契約により右株式二万四千株を被告会社に転売することとなつたものであるが、本件契約成立当時においては、右岩田強との契約の履行が完了していなかつたため、海務院に提出すべき契約書たる乙第四号証に便宜上同人を売主として表示し、直接同人から本件株式及び水管を被告会社に売渡す形式をかりたものであることが認められるから、右事実によつては、いまだ原告北川が本件契約における売主であることを覆えすに足らず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

二、被告は、本件契約は海務院の認可及び臨時資金調整法による関係官庁の認可を得た後始めて効力を発生する約旨であつたところ、海務院においてはこれを認可せず、延いて、臨時資金調整法による認可も与えられないことになり、遂にその効力を発生しないで終つたものであるから、本件契約がすでに効力を発生し右契約上の代金債務の不履行に因る契約解除があつたことを前提とする原告北川の請求は失当であると主張する。よつてこの点について判断する。

前出甲第二十号証の一、二、乙第四号証によれば、本件売買契約書には、本件契約は、海務院の認可並に臨時資金調整法に基く関係官庁の認可を得た後その効力を発生する旨の条項があり、又、附随の協定書には、本件契約に基く債務の履行は右各認可を得た後これをなす旨の約定があることが認められる。かかる場合においては、特に反対に解すべき事情の存しない限り、契約の効力の発生を右官庁の認可なる事実に係らしめたる停止条件附契約であると解すべきである。

さて、成立に争ない乙第八号証、同第十二号証に証人中村常治、同松井一郎、同新谷寅三郎(第一回)の各証言(但し後記措信しない部分を除く。)、被告代表者中野秀雄(第一、二回)の供述(但し前記措信しない部分を除く。)を綜合すれば次のような事実を認定することができ証人中村常治及び同松井一郎の証言中この認定に反する部分は措信することができず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

「被告会社は、前記の通り原告と本件契約を締結した後、臨時資金調整法による主務官庁の認可を受けるためと称して、同年六月初頃、日本銀行に認可申請書及び関係書類を提出し、一方海務院の承認を受けるためと称して、本件契約書を海務院監督課に提出した。しかるに、これより先、同年五月三日、海務院当局は、非公式にではあるが、海運企業整備統合に関する件と題する内規を制定し、右内規中において、海運業者が、資本合同をなすに当つては会社合併又は現物出資によることを原則とし、財産又は全株式の買収の方法によることは已むを得ざる場合の外避けることという方針を明らかにした。

海務院当局の方針がかくの如きものであつたため、前述本件契約書提出後間もなく、被告会社中野業務部長は海務院監督課長松井一郎から本件契約を許可しない旨意向を伝えられたが、なお、特別の取計いを要請してさきに提出した認可申請書類につき取下変更等何らの処置をとらず放置しておいたところ、六月中旬頃に至つて、海務院監督課事務官中村常治から本件契約は全株式譲渡の方法による資本合同であるから許可しない。速かに日本銀行に提出してある臨時資金調整法による認可申請書を取下げよとの趣旨の通告をうけたので、被告会社は、やむなく、右中村事務官の通告により認可申請書を日本銀行から取下げるにいたつた。」

而して、右事実によれば本件契約は海務院及び臨時資金調整法による主務官庁の許可を与えられないことになり、ここに停止条件たる事実の不成就が確定したというべきである。しかるところ、臨時資金調整法によれば、当時本件契約につき同法上の政府の許可又は認可をうけるべき旨の規定なく、証人中村常治、同松井一郎及び同新谷寅三郎(二回)の各証言によれば、当時、海務院としては、本件契約につき許可又は認可をなすべき法令上の根拠が全くなかつたにもかかわらず実質上船主の移動を伴う船舶の取引については時宜に応じ、当局の意見を宣明してその行くべき方向を一般的に指示したのみならず、臨時資金調整法第四条第一項の規定による政府の認可を潜脱する取引の行われることを防ぐ為、個々の取引につき海務院及び右認可事務の取扱者たる日本銀行に関係書類を提出させてこれを認可しないとか事実上の処置としてきたことを認めることができ、いままで認定してきた諸事実に弁論の趣旨を合せて考えれば、本件当事者においては、右のような行政運営の実際にしたがい、前認定の通り、本件契約に認可を停止条件とする特約を附した上、海務院及び日本銀行に対しその認可を申請したものであることを推断することができる。当事戦局の進展にともない、海運統制の必要緊急なるものがあり、その方法として船主統合が企画されたが、臨時資金調整法による資金規整は、いまだこれにこたえるに十分でなく、又海運統制令による船価の統制もまたこの要請をみたすに足らなかつたので、政府においては、とりあえず右に認定したように行政運営に依存することを余儀なくされたものと察せられるが、かかる場合、本件契約に附された条件の如きは、法律上有効な停止条件と解すべきでなく、むしろ、いわゆる既成条件と同様に無条件の取扱をすべきではないかということが考えられないこともないが、右に認定したような事情から判断すれば、当事者の意思も、かならずしも、官庁の権限の法令上の根拠に重きをおくことなく、その行政運営の実際に着眼し、これに合わせて特約したものと認めるのが相当であるから、本件契約は、結局、かかる意味において条件不成就によりその効力を生じないことに確定したものと論断せざるをえないのである。

したがつて、本件代金債務も又発生しなかつたものであるから、被告の抗弁は理由があり、原告の本訴請求はその他の点について判断を加えるまでもなく失当として棄却を免れない。

第三、結論

以上の次第であるから、原告等の本訴請求をいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項本文の規定を適用して主文の通り判決する。

東京地方裁判所民事第八部

裁判長裁判官 小川善吉

裁判官 岡田辰雄

裁判官 宮本聖司

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